家族葬は家族全員で行う最後のイベント

元気だった祖父が亡くなった際、100歳を超えていたこともあり兄妹や友人が全て先に亡くなっていたため城東の葬儀場で家族葬ににすることにしました。

本人の希望ということもあったのですが、もともと実家は代々寺院を継いでいたこともあり、家族全員お経を唱えることができるということもあって、葬儀屋さんにその旨伝えて葬儀の相談を始めた時、何故かご近所の方から葬儀に関する口出しをされるようになったのです。

 

葬儀を行う部屋の壁紙が良くないとか、棺に花を敷き詰める予定をたてていたら花代が勿体ないだとか、何のお世話にもなったことのない他人が打ち合わせだけでなく、葬儀屋さんにまで個人的に葬儀の提案をする始末。
葬儀の準備は滞り、葬儀屋さんの担当の方にも迷惑をかけ、ますます残された家族はおろおろするばかりで、葬儀が終えるまでハラハラし通しでした。

 

わたし以外の家族の落ち込み具合がひどく相談相手にはならず、かといって口出しをしてくるご近所の噂話好きのご婦人には当然、相談できずにいたところ、会社から何度も葬儀の手伝いをしようかと連絡が入り、その都度、立ち止まってしまっていた葬儀の準備の様子を話したり、友人からの電話やメールでの励ましに答えるうちに、以前、家族葬をやったという方の体験談を聞くことができました。

 

また、葬儀に良く参列する方の話から、口出しをしてくるご近所の方の葬儀に対する見識が誤っていることを指摘することができ、その様子を見ていた葬儀屋さんの機転で、口出しをしてくるご近所の方を排除して相談できる環境を作ってもらい、無事、家族葬を身内だけで行うことができました。

 

葬儀を終えて、何年も経ちますが、やっと最近になって祖父の最期や家族葬の話しを他人に言えるようになってわかったことがあります。
特にわたしが住んでいるような田舎には、他人の冠婚葬祭だけが楽しみなお祭りおじさんやお祭りおばさんがいるようです。

自分は詳しいからとか、何件も葬儀に行ったからといった彼等の自慢話を鵜呑みにせず、故人に恩返しができる、家族にとって穏やかな時が過ごせる家族葬ができれば、多少、形式がおかしいと言われても、それが最高の葬式なのです。

後にああすれば良かったと後悔することなく、多少金額がかかっても気にせず思い思いの家族葬をやりましょう。