小さいころは、おいしいものが食べられるとしか思っていませんでした

先日寝屋川での家族葬に参列し思い出した事があります。
お葬式には数えられないほど参列しましたが、覚えているうちで一番小さかったのは、幼稚園の葬儀です。今思うと熊本でがん治療が好評でしたが子供とはいえ失礼な参列者だったのでは?と思ってしまいます。亡くなったのはいつも一緒に遊んでいる友だちの父親でした。後で事故で亡くなったと聞いたのですが、当時はそんなことは気にもせず、幼稚園生では当然だったので勘弁してほしいと今では思いますが、告別式の後の食事では何を思ったのかごはんのおかわりをしたのを覚えています。メニューはさすがに覚えていませんが、とてもおいしそうな料理だったのだろうと思っています、今思うと少々恥ずかしいですが。次に葬儀に参列したのは小学校4年生の時でしたが、その時は同級生の葬儀でした。小学校3年の時に引っ越してきたのですが、一学期に数日しか登校しないので不思議に思っていましたが、ある時期、隣の席になり話をするように。仲良くなったのかと言われればそこまででは無かった気がしますが、次は何時登校してくるのかと気になっていました。それから一・二度は登校してきましたが、半年ほどは姿も見なくなりました。暫くしてちょっと忘れかけてた頃、先生から亡くなったことを聞かされ、葬儀にはクラス全員で(といっても同学年30人ほどの学校でしたが)参列することに。なぜか代表で私が弔辞を述べることに。特別仲が良かった訳でも無いと思っていたのですが、弔辞を読みながら涙を流していました。今なら”まだ10歳なのに”などと考えて泣くのだろうと思いますが、その時なぜ涙が出てきたのかは分かりませんでした。転校生ということでいじめられがちだった時に仲良くしてもらったからかもしれませんが。段々と年齢を重ねると人が亡くなることに対して考えも変わってきたと思います。数年前に父も亡くなり、最近では自分の死に際、今でいう終活について考える様にもなってきました、葬儀を何度か経験すると次第に自分の時のことも考えるようになるようです。自分の葬儀は自分で生きているうちにコーディネートしようかな。